2005年3月18日~25日 九州自転車旅行 Part1
2005年3月、九州を1週間の自転車ツーリングに出かけた。泊りがけの旅行だが、このときはテント泊ではなくユースホステルなどに宿泊した。
このPart1は、東京から青春18きっぷで移動し、平尾台を観光、福岡県西方沖地震に遭遇、そして由布院まで。
2005年3月18日 東京駅から臨時ムーンライトながらで出発
臨時ムーンライトながら91号で出発。じつは指定席券がなく、定期ムーンライトながらで立ちっぱなしを覚悟していたのだが、直前で臨時ムーンライトながらの指定席を取ることができた。青春18きっぷを使うのも、夜行列車に乗るのも、これがはじめてだった。
2005年3月19日 青春18きっぷで下関、関門人道トンネルで門司へ。
大垣からも、東海道本線と山陽本線をひたすら西に向かった。まだ青春18きっぷに慣れていなかったので、馬鹿正直にムーンライトながらの接続を受ける新快速に乗ってしまい、播州赤穂まで立ちっぱなしになってしまった。
新快速はとても早かったが、この1ヶ月後に福知山線脱線事故が起きる。新快速がいちばん速かった時代、そして危険だった時代に乗っていたことになる。
相生から岡山は赤穂線経由を選んだ。
この写真は岡山駅。岡山からはこの電車に乗った。115系電車のセキG-03編成らしい(鉄道マニアのために情報を記す)。
115系電車の車内。このとき、日本国内では京都から西に行ったことがなかったので、広島あたりで普通に広島弁が聞こえることに驚いた。電車はたしか岡山から新山口まで通しの運転だったっ気がする。
当時は115系という電車は輪行で数えきれないほど乗っていて辟易としていたのだが、いまとなっては珍しい電車になってしまった。
新山口で乗り換える列車は、キハ40系のディーゼル列車だった。
新山口まで乗ってきた列車。
そして、本州最西端、下関駅に到着した。ここで下車。下関駅はまだ古い建物だった。この駅舎はこの直後、火災で全焼してなくなってしまう。
夜で真っ暗だが、壇之浦を観光した。
そして、関門人道トンネルに向かう。
関門人道トンネルは乗車禁止なので押して進む。生まれて初めて福岡県に足を踏み入れた。
門司港駅で記念撮影。
この日は門司船員会館という、船舶の従業員向けの廉価な宿泊施設が一般人も泊まれるので、そこを利用した。この施設はその後なくなってしまったようだ。
2005年3月20日 平尾台カルストと福岡県西方沖地震
この日は半分自走して、半分輪行する予定だった日。青春18きっぷにスタンプを押してもらい、門司港駅から少しだけ輪行する。
写真が下手すぎるが雰囲気はよいのでそのまま貼る。
小倉で日田彦山線に乗り換える。
日田彦山線の石原町駅に着いた。ここから走りはじめる。
北九州市南部と行橋市の境にあるカルスト台地「平尾台」に登って観光した。標高はそこまで高くなく楽だった。
カルスト台地といえば鍾乳洞。牡鹿洞という鍾乳洞を見学した。
↑の、牡鹿洞を出たときの写真は、タイムスタンプが2005年3月20日午前9時44分だった。
平尾台は本当に美しいところだった。
さて、すでに青春18きっぷにスタンプが押されているので、日豊本線の行橋駅まで行って、そこから再度輪行することにした。予定は未定だが、大分方面に行ってどこかのユースホステルに泊まるつもりだった。
ところが、行橋駅のホームで電車を待っていると、大きな揺れを感じた。2005年3月20日午前10時53分に発生した、福岡県西方沖地震である。九州の鉄道はすべて運転見合わせになってしまった。
1時間前の午前9時40分頃まで鍾乳洞を見学していたので、本当に間一髪だった。洞窟の中で大地震に遭遇しなくてよかった。
何時間か待っていると、それでも電車は動き始めた。それまでどうやって待っていたか覚えていないのだが、おそらく地震にビビッていたのだろう。すでに青春18きっぷの1日分にハンコを押してしまっているので、行けるところまで列車で移動することにした。下の写真は行橋駅から2駅しか離れていない新田原駅なのだが、写真のタイムスタンプは17時19分なので、かなり長時間運転見合わせだったことがわかる(門司港の写真が朝7時前になっているので、カメラの時計はおそらくずれていない)。
途中かなり電車が詰まったが、無事大分方面まで移動することができた。
この日は湯布院まで列車で移動することにした。湯布院ユースホステルに電話したところ、到着が問題なく宿泊できるということだったので予約した。夜21時くらいの到着になってしまったが、快く迎え入れてくれた。
2025年12月19日記事公開
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